ブランクが育てるもの
小さい頃からいろいろな趣味・習い事に手を出してきました。
バレエ、漫画描き、トランペット…。
子どもにありがちな気軽さでどれも一度プロになりたいと思ったものの続かず。
けど当然のことながら、それらの経験が全く無駄になったというわけではありません。
どの経験も今の私を作る大切な一要素。
大人になってからは演劇と歌(声楽、ミュージカル等)を、その時の自分ができる範囲で続けてきました。
とはいえ、何度もブランクを挟みながら。
今は育児のためにオペラや演劇など大勢で何回も集まって練習しなければならないものはどうしても難しいです(ベビーシッターを利用するしないの話はここではしませんが)。
それでも子ども向け、ママ向けのコンサート等、妊娠・出産を経験したからこそできることはあります。
毎日まともに練習することが難しいので、技術的には衰えるかもしれません。
産後少しずつ歌いだした時も、深く呼吸することすらできず凹みました。。。
けど、制限がある中でも(しかも子どもを見ながらなので、決して集中できたとは言えず)歌っていれば身体も技術も回復していきました。
それだけではなく、前はできなかったことができるようになったり、歌い方が少し優しくなったり、プラスの変化を感じることができました。
ブランクが育ててくれるものってあるんじゃないかな。
ワインが熟成していくように。
トレーニングで傷ついた筋繊維が休むことで強化されていくように。
「会えない時間が愛を育てる」ように(笑)
だから仕事でも芸事でも、ブランクって実はあまり恐れる必要がないんじゃないかと思います。
女性は妊娠・出産によってキャリアにブランクが生じます。
制度の整った会社勤めでもブランクを躊躇してしまうのに、フリーランス的な働き方をしている人にとってはブランクは尚更怖いもの。
これからの働き方や自由な生き方を踏まえて、ブランクを恐れる必要のない世の中にするにはどうすればよいのか。
また、自分が今さまざまなママ達と接していて、みんなそれぞれ違った能力を持っていることや、子育てによって自分も成長することを実感しています。
ママの持つ能力を有効活用し、ママコミュニティ内に留めず社会に発信し、「ブランク」とされる期間をより充実させていくには。
将来的な事業化を念頭に、そういったことを最近考えています。
自分のタバコを見つけよう
FYOT = Find Your Own Tabacco.
またはTIMT = This Is My Tabacco.
たまに頭に浮かぶフレーズです。
私はタバコは吸いませんが、吸う人が言うにはタバコは気分転換、集中力を高める、心を落ち着ける、眠気を覚ます、さらには快便効果(!)、と様々な効用があるようです。
それだけの効用(&依存性)があるんだったら、よほど強い意志がないと禁煙なんてできませんよね。多くの喫煙者にとっては、タバコは心の健康や生産性の維持に欠かせないアイテムなんでしょう。
で、今回の記事は喫煙の是非について論じるものではありません。
「タバコのような存在」を持つことの大切さについて書きたいのです。
家族といっしょにいるため、仕事を辞めてパートナーの海外駐在について来ました。
働いていない、働けないことに対する葛藤も想像以上に大きく…。
いやがうえにも、「自分はこの先どう生きていくか」「人生で何をやりたいのか」を考えちゃいます。
最近やっと熱を持って向かっていける人生の目標、ありたい姿などがはっきりしてきたのですが、同時に自分が心身ともに余裕がなくなってしまっていることにも気づきました。
もっと余裕とエネルギーがなければ、子育てと家事のタスクをこなすだけで日々はあっという間に過ぎ去ってしまう。
私は昔から脱力が苦手で、すぐ身体がガチガチになってしまいます。
小学校1年1学期の通信簿に「もっとリラックスしましょう」と書かれたくらいなので、文字通り筋金入りです。
心の面でも、身体に連動してすぐ緊張したり、ネガティブに考えたりしてしまっていました。
余裕とエネルギーを生むには、リラックスすることとポジティブに考えることが欠かせません。
喫煙者がタバコを吸っている時は肩の力が抜け、ストレスからも解放され和やかになっていることが多い。としたら私も、喫煙者にとってのタバコのような存在を持つ必要があるのではないか。
もちろん私だけの問題ではなく、ほかの非喫煙者、もしくは禁煙したいと思っている人すべてが、自分にとってのタバコを見つけるべきだと感じます。
見つけたら、「This is my tabacco!!」といって大事にすればいい。それが人を傷つけたり人に迷惑をかけるものでなければ何だっていい。
まとまりのない話になってしまいましたが、私にとって大切な概念なので記事にしてみました。
海外駐在という制度を現代の価値観に合わせていく必要がある
タイの日本語フリーペーパー「DACO」が日本に帰国した元駐在妻20人にアンケートをとったところ、現在正社員として働いている人はいないとのこと。
確かに、過去に仕事を辞めて海外に行った、いつまた旦那が海外駐在になるかわからない、という人を正社員として積極的に雇おうという企業はそうそうないでしょうね。
正社員として働くことが厳しいのがわかっているから、在タイ中に手に職をつけようという人が多いのもわかります。
ちなみに、在宅勤務ができる企業なら仕事を辞めずに帯同できるというわけでもないんですね。
基本的には、被扶養者でないと家族ビザがおりませんから。
「配偶者転勤休職制度」がある会社もありますが、まだまだ少数派かと思います。
企業で正社員として働く道はほぼ残されていない。
それだけのリスクを伴ってでも、家族と一緒にいるために仕事を辞めているのです。
いわば、「家族か仕事か」という究極の選択を迫られる。
小さい子供がいる場合、「仕事を辞めるか働きながらワンオペ育児するか」という拷問にも近い選択を迫られるわけです…。
そもそも、働き盛り世代の海外駐在と家族の帯同というシステムは、夫婦の一方がばりばり働いて(実際に仕事がより大変になるケースが多い)、もう一方は専業主婦/主夫としてそれを支える、という昔ながらの家族のありかたに基づいたものです。
はっきり言うと、夫婦共働きが格段に増えた今の実情に合っていないのです。
私個人としては、会社にとらわれない働き方を模索するきっかけになるとポジティブにとらえていますが、その会社でどうしてもやりたい仕事があったのにパートナーの会社の都合で辞めなければならない場合の葛藤はいかばかりかと思います。
海外駐在という制度を現代の価値観や実情に合わせていくには、まずは先述の「配偶者転勤休職制度」を充足させていかなければなりません。
もっと広く考えて、会社が個人の人生を左右する世の中に疑問を呈するならば、会社が従業員の勤務地を決めること自体、「本当に必要なのか?」と考えるべきではないかと思っています。
正社員が経験を積むためにあちこち転勤する、というのが単に昔からの慣行として行われている場合、一度その必要性を見直して、個人と会社のかかわり方を考え直す必要があるのではないでしょうか。
転勤やジョブローテーションを否定するのではありません。ただ慣習として何となく、ではなく、世の中の流れを見据えたうえで必要性を見直し、きちんとしたポリシーのもとに行ってほしいのです。
また、一般的にパートナーの海外駐在に帯同、というと「勝ち組」「会社のお金で海外で優雅な生活ができていいわねー」という印象がまだあるため、このことが問題として認識されにくいのかもしれません。
産休・育休の充実に比べると優先順位が下がってしまうのもわかります。
ただ、本当に「働きやすい会社」を作るうえで、突如正社員としてのキャリアパスを断たれる人がいる、ということを忘れないでいただきたい、と思っています。
嗚呼美談
夏の甲子園に関して、様々な意見が飛び交っております。
猛暑の中過密な日程を強行することへの批判。
躍進を遂げた金足農業高校特集、等々。
違和感を感じたのは、優勝したのは大阪桐蔭なのに、テレビを見ている限りでは金足農業関連の報道ばかり。地元の盛り上がりの様子とか。
あくまで高校の部活動だから、学校によって選手の層の厚さに差が出るのは仕方がない。
制約がある中で頑張って、決勝まで進んだ努力はすごいと思う。
だけど史上初の2連覇を遂げた大阪桐蔭だって十分すごいことを成し遂げたし、普通じゃない努力をしたはずのに…。
ふと、「ああ、日本人はやっぱり我慢と自己犠牲による美談が好きなんだな」と思った。古くは「おしん」のようなドラマに見られるし、良い妻・良い母=ある種の自己犠牲の上に献身的に尽くすというイメージが残っていたり。少し飛躍するけど太平洋戦争の特攻隊にも通じるものがあるかもしれない。
逆境の中で頑張るのは、個人レベルの話では素晴らしいと思う。ただそれはあくまで「その人がそうしたいから」やっている話であってほしい。他人または高次の組織から強要されてはならないし、美談として取り上げて、必要以上に賞賛を煽ってもならない。
個人に対する不必要なプレッシャーは避けるべき(特にスポーツではある程度は仕方ないことは理解しますが)。日常のレベルでも、プレッシャーから心身のバランスを崩すことがあるのだから。
プレッシャーをかけている存在、自分にかかっているプレッシャーの有無について一人一人がより意識的になり、できるところから状況を改善する。
そうすることで一人一人が精神的に楽になり、自律してのびのび力を発揮できるようになることを願っています。
駐妻の日々の過ごし方ーすべては自分次第
今日はお出かけしようか、やめようか。
空いた時間には何をしようか。
家事と育児をしていても赤ちゃん連れでお出かけはしますし、細切れに空いた時間は訪れるます。そこで毎日毎日こうしたことを考えるわけですが、決定の指針になるのは大まかに以下の2つです。
①将来のための投資。
これからの人生でやりたいことを見据え、そのために必要な知識やスキルの習得に充てる。
②今しかできないことを楽しむ。
赤ちゃん連れで楽しめる場所を開拓したり、気になる場所を訪れたり。
どちらも甲乙つけがたいので、結局はその日の気分になってしまうんですが…。
0歳児を育児中の専業主婦駐妻、毎日通うオフィスもなく、そうそう毎日決まった予定が入るわけでもありません。要するに、自分で考え、自分で行動しないと何もないわけです。
バンコクには、子育てしながらでもブログ等で有名になったり、ボランティアで様々な団体や企画に携わったりしている方が多くいらっしゃいます。自分の発想と意思で「これをやる」と決め、自分のものにしていらっしゃる。本当に尊敬に値します。
同時に、日本で働いていた頃の自分はなまじ仕事が降ってくるぶん、それをこなすことで何となく日々を過ごしてしまっていたと今になって反省…。
待てよ、考えてみればこれは大きなチャンス。
仕事は与えられるものではなく自ら作るもの。
自分の人生を長い目で考えたうえで、一日一瞬の過ごし方を考える。
こうした姿勢は、生き方が多様になった今の時代にも、これからの時代にも必要とされているのでは?駐妻生活によってそれらが身に付けられるのでは?
まあスーパーポジティブなんですけど。
今の立ち位置に対して葛藤を抱えているからこそ、これくらい図太く生きていかねば、と思っています。
ブックレビュー 2018/8/20
今日は最近読んだ本について。
『「時間がない」から、なんでもできる!』吉田穂波著、サンマーク出版
産婦人科医として働きながら3人の子どもを出産して育て、ハーバード公衆衛生大学院への留学を実現させた女性による、時間がなくても色々なことをやるための考え方のヒント集。
ネット記事で紹介されているのを読んで、ビビッときてほぼ衝動買い。実際には主婦の性として少しは必要性を吟味しましたが、やっぱり直観には逆らえません!
今の私にとっては目を開かされる話ばかりで、結論から言うと「買ってよかった!!この出会いに感謝!!」です。
忙しい時に限ってやりたいことがあふれてくる。時間がないことはやる気を高めるチャンス。
「気持ちのやりくり」をすること。
人は頼られたい生き物。後ろめたさを感じずに人の助けを借り、そのぶん感謝は惜しみなく。
このほかにも、紙に書いてトイレに貼っておきたくなるような発想がみっしり詰まっていました。
細切れ時間を活用して、途切れ途切れでいいのでやりたいことをとにかく同時進行でやってしまって、一分一分の時間密度を高める。
これを素直に実践しようとすると、脳もフル回転だし慣れるまではけっこうきついかもしれません。性格によっては、自分を追い込んでしまう人もいるでしょう。
でも、著者は大事な一言を添えるのを忘れていません。
“大切なのは「余力と笑顔が残る程度に」がんばること。”
常に気を張って頑張りすぎてしまっては、そのうちしわ寄せが来ます。
無理をしていないか?の目安として、「余力と笑顔が残る程度」というのはとてもわかりやすく、大切な指標だと思いました。
子どもがいる以上、親であることをやめることはできません。
親が笑顔をなくして過緊張になってしまうと、子どもの心にもよくない。
育児しながら仕事・勉強を行う母だからこそ出てくる言葉だし、著者の人柄も感じさせてくれます。
「あなたなら大丈夫。やりたいことをやる道はあるのだから頑張って」と、優しく背中を押してくれる一冊です。
国民皆保険はすごいと思った話
前回記事「無料もしくは廉価で相談できる専門機関・公的機関がない」と書きました。
こう書くと海外での育児=やっぱり不便・大変となってしまいますが、
考えてみれば無料で利用できる施設があることや、日本の国民皆保険制度は本当に恵まれているんだなと思います。
例の「日本人に優しい病院」は言うなれば高級私立病院。子どもの診察一回で一万円以上かかるのはざら。入院すると一泊で10万円くらいかかるのです(調べてみると日本の入院の自己負担額平均は2万円弱とのこと。3割負担で2万円と考えると、上記金額はとんでもなく高いわけではないようですが)。
主人の会社では駐在員とその家族の医療費は負担してくれますが、会社のお金、と思うと高額の請求をするのは流石に気が引ける…!!それにその都度申請手続きがいるので労力がいる。
そう考えると、健康保険証を見せるだけで気軽&廉価に病院の診察を受けることができたり、自治体で子どもの医療費補助があったり、というのがどれだけ有難いことなのかと気付きました。
しかも保険料はアメリカの民間の保険なんかに比べると格安。
保険にしても公的補助にしても、私たちが払った保険料や税金が主たる財源なわけだから、会社に払ってもらうときの罪悪感もない(もっとも罪悪感を感じるかは性格によるでしょうが)。
だからこそ「コンビニ受診」と言われるような問題が生じるわけですが、私たちの意識を変えたり、病院側がより効率的なシステムを模索するなどして、国民皆保険のいいところは残して欲しいと今は思っています。
そして保険制度を失わないためにも、自分たちである程度の知識をつけて対処しようとする姿勢が大事なのだとも思いました。