コミコミ!日記

バンコクよりお届け!コミュニティと社会を考える体当たりな毎日

海外に住んで思う、国家と会社と個人について

 時々「国家」の役割についてどうしても考えが及ばざるを得ない時がある。

同時に、「会社」の持ちうる意義についても。

 

駐在員家族として海外に暮らしていると、日本の行政サービスの多くは利用できない(住民票を日本に残したとしても現実的にはかなり限られるだろう)。日本では通常個人で行っていたことも、会社を通して行う必要がある。

例えば住居の賃貸。家賃を会社に補助してもらえる点で(日本人に人気の物件はとても自腹で払える賃貸料ではない…)得しているが、会社名で賃貸契約しているので制限もあるし、手続等はすべて会社経由になる。

医療費の規定は会社によって様々だが、全額でも部分的にでも多くの場合会社がいくらか負担するため、病院にかかるたびに会社への医療費申請が必要。

出産・育児にかかる費用も、国や自治体からの補助はもちろんないため、程度は異なるが会社からの補助が出る。公的な相談機関もない。

 

…会社に申請できるのは当然そこで働いている夫のほうなので、生活にかかわることを自分でできない歯がゆさもある。

そして、何でもかんでも会社のお世話にならざるを得ないこの状況。

 

今の自分たちにとって、「会社」が「国家」の役割を果たしているんだな。

 

と、時々ふと思う。

「もう国家はいらない」と言っている人もいるし、それはそれでいいのかなーと思ったりもするけれど、会社が国家に代わる存在になりうるかと言われると、これもまた首をかしげてしまう。

企業の基盤など国家に比べればもろい。いくら大企業でも、つぶれる時は簡単につぶれてしまう。そもそも、教育課程を修了した者の人生の受け皿としての企業の役割はどんどん縮小している。

「企業」という存在に我が身をまるごと預けている今の状況に、何とはなしに不安を覚える。

 

では「国家」なら安心なのか。国の領土内で、国家の枠組みの中で暮らしていれば良いのか?それとも国家も会社も超越して個人として暮らしていく方法があるのか?

…現状どちらにも否定的だ。

国家の枠を超えて、様々なフィールドで自由に活躍する個人はもはや珍しい存在ではない。ただし私たちはまだまだ国の行政サービス、インフラがなければ暮らしていけない。

 

私は1歳児を育てているが、育児サービスや自治体による金銭的な補助はない。日本の本社での働き方改革も海外法人に適用の義務は全くない。極論、例えば日本でベーシックインカムが導入されることになった場合、日本に税金を納めていない海外在住者は恐らく受給の対象外となるだろう。

こうしてないものを挙げることはいくらでもできる。その穴を企業が埋めたり、海外在住者同士の横のつながりで埋めたり、「日本に帰ったら…」トークに花を咲かせて?埋めているのが現状。

 

海外在住・国内在住にかかわらず、個人と国家と企業の立ち位置、あるべき健全な関係性について、またゆっくり考えてみたい。