公的な支援機関がないこと
児童虐待の痛ましいニュースやそれに伴う論議がメディアを沸かせている。
虐待は、する側が幼い頃に虐待を受けていたり、類似のトラウマを負っていたりするケースが多いと聞く。また、経済的な困窮、頼れる場所の欠如等の問題もある。
だから状況の改善のためには児童相談所の機能を強化するだけでなく、貧困対策、頼れる場所の創出とその周知が欠かせない。既に多くの人が様々な規模で動いているだろう。
だけどふと思う。
これらは、日本に住んでいる、日本語ができる日本人をまず想定しているよね、と。
もし、例えばタイに住んでいる日本人家庭で児童虐待があったとする(これは決してあり得ない話ではない)。
駐在で数年滞在するだけの予定で、タイ語もほとんどできず、タイの公的機関とも縁薄い。
タイにも児童相談所的な機関は恐らくあるんだろうけど、そんな外国人家庭を相手に優先度を高くして対応してくれるとは思えない。「疑い」だけのケースに対して警察が動いてくれるかも怪しい。
例えば日本国内の外国人が多い地区で虐待があったとする。
隣人が虐待を疑ったとしても、児童相談所に連絡することを知らない。日本語も不自由で、警察に相談するにも腰が重い。
十分考えられることじゃないだろうか。
海外在住者は横のつながりが概して強く、自分たちで共同体を組織して無いものを自助努力で補おうとする。だけど、虐待など時に強硬手段に出る必要があるケースにおいては、それだけでは不十分なのではないか。
もちろんこれはまだ主観的な推測にすぎず、もっと調査が必要だ。
ただ、外国籍の者は公的な支援に関して弱者になりやすい。子どもなどは特に、それによるリスクをしっかり考えなければならないと思う。そして起こりうる事態に関し、どんな対策ができるのかを考え、それを周知することが必要だ。